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列伝

Category - 歴史(崔瑩)
史実のチェ・ヨン将軍についての続きです。
私がよくお邪魔しているブログ様から情報をいただいたので、県立図書館へ行ってきました。
今の時代、ネットで図書館の蔵書検索ができるんですね!
長い間図書館から遠ざかっていたので、こんなに便利になっていたなんて知りもしませんでした(^_^;)


「韓国の教科書に出てくる 人物コリア史1」
古代・三国から高麗時代の人物について書いてあります。
シンイに関係する人物は、恭愍王、魯国公主、奇皇后(キ・チョルの妹)、崔瑩(チェ・ヨン)で、
史実を読みやすい文章でまとめてあって、とても興味深く勉強になりました。

「開城 高麗・千年の都」
高麗王朝の城跡の写真が載っているそうで、見てみたかったのですが、なんと行方不明になっているそうです!
こんなことってあります?(笑)
探して連絡してくれるとのことですが、1ヶ月くらいかかるらしく(´・ω・`)
ショックです…。

「高麗史」(貸出禁止)
高麗史が図書館にあるとは!と驚きましたが、明治に日本で発行された本でした。
漢文なので意味は分からないけれど、目を通すことができて嬉しかったです。
高麗史はネットでも読めますよ。

「高麗史日本伝 上、下巻」
高麗史の日本語訳が載っていました。
全文ではなかったと思います。
時間切れでさらっとしか読めなかったので、今度また読みに行こうと思います。

私なりに本で調べて分かったことをまとめます。
Wikiに載っていることは省きます。

<チェ・ヨン将軍について>
倭寇討伐で功を立て、ウダルチに任命された。
1357年ごろから英雄として崇められた。
百戦錬磨の武将だった。
一時期、辛旽(恭愍王の寵愛を受け、政権を任された人)に島流しされたが、復職した。
1374年、チェ・ヨンが元の残党を済州島へ制圧しに行き、都を留守にしている間に恭愍王が殺害された。
1376年、倭寇が攻めてきたので、チェ・ヨンは禑王(恭愍王の息子)に願い出るも反対され、懇願し何とか許しを得て鴻山へ出兵し、自ら先鋒になり突撃。敵兵から矢を射られ唇に当たったが、その兵を射倒してから唇の矢を抜いた。チェ・ヨンの勇姿に高麗軍の士気は上がり、倭寇を大きく打ち破った。チェ・ヨンは倭寇から怖れられた。
1388年、遼東征伐を計画し、チェ・ヨン自ら出兵しようと禑王に願い出たが、チェ・ヨンの不在時に恭愍王が亡くなったことから、そばを離れないでほしいと聞き入れてもらえず、出兵できなかった。
チェ・ヨンが亡くなった日、都の人々は市場を開かず、婦女子や子供、皆が涙を流した。
チェ・ヨンには妹がいた。妹の息子の名前は金佇(キムチョ)。

「高麗史」より
高麗史に奥さんの記述がないかと思って目を通していたら、気になる文を見つけました。
柳榮瑩妻之姪瑩愛榮.
柳はユ、瑩はヨン、妻!瑩愛ヨン愛す!
これは…!と期待したのですが、漢文の翻訳サイトは無く、意味が分からなくてずっと気になったままでした。
その訳が、図書館で読んだ本の中にありました!

柳榮は瑩の妻之姪なり、瑩、榮を愛す。
柳榮(男性)は瑩の妻の縁故のもので、瑩は榮を可愛がった。

奥さんに関する記述ではありませんでしたorz
でも気になっていた文の意味が分かってすっきりです。

もう一つ「妻」の文字がある文を見つけましたが、その本には載っていませんでした。
初瑩欲囚赴征諸將妻子事迫竟不行.
これも何となく関係なさそうですね。

高麗史チェ・ヨン将軍の項目の最後の文。
謚武愍. 子潭大護軍.
大護軍で締めてあるなんて。知っている単語だし、思い入れもあるので胸がジーンとしました。
ですが、これは息子さんのことなのかな?
お名前が崔潭なので、「子の潭は大護軍だった」?
うーん、よく分かりません(^_^;)

史実についてはここまでです。
長くなりそうなので、区切ります。
次はネットの情報を書いていきます。
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